第8回世界史検定(アジア・アメリカの古代文明) 第8回を開催します。世界史(アジア・アメリカの古代文明)のセンター試験、私大対策問題です。前回同様、山川出版社の「詳説 世界史」から出題します。 勉強 - 歴史・地理 世界史 センター試験 大学受験 歴史 Q1インドの古典文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢ヴァルダナ朝の創始者ハルシャ王は、プルシャプラ(曲女城)に都をおいた。グプタ朝最盛期の王チャンドラグプタ2世のときに、東晋の僧の法顕が訪れており、彼は往路は陸路、復路は海路を利用した。唐僧の玄奘は単身中国を出発し、インドに赴いた。彼は往路、復路ともに陸路を利用した。唐僧の義浄は中国を出発し、ナーランダー僧院で学び、帰国した。彼は往路、陸路ともに海路を利用した。 Q2インドの古典文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢ヒンドゥー教の三大神とは、シヴァ神・ヴィシュヌ神・ブラフマー神である。クシャーナ朝は、KYOU奴の支配下にあったイラン系クシャーナ族が自立して建てた王朝である。バクティ運動とは、仏教やジャイナ教を否定し、ヒンドゥー教の最高神に、絶対的な帰依をささげる宗教運動である。玄奘は長安から、義浄は広州から出発してインドへ行き、ナーランダー僧院で学び、それぞれ「大唐西域記」、「南海寄帰内法伝」を著した。 Q3南インドの最南端の王朝を一つ選べ。 選択肢チョーラ朝パーンディヤ朝サータヴァーハナ朝チャールキヤ朝 Q4東南アジアの諸文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢扶南は東南アジア最古の王朝で、その港市のオケオを拠点に海上貿易で栄えた。チャンパーはチャム人が建てた国で、年代の早いものから順に「林邑」・「占城」・「環王」など、時代によって様々な名でよばれた。カンボジア(真臘)はクメール人がメコン川中流域に建てた王国で、扶南を滅ぼし、ヒンドゥー教を国教とした。ヒンドゥー寺院であるアンコール=ワットはカンボジアのアンコール朝最盛期の王スールヤヴァルマン2世によって造営された。 Q5東南アジアの諸文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢パガン朝はビルマ人による最初の統一王朝で、スリランカとの交流により上座部仏教が広まった。タイのチャオプラヤ川では、モン人によるドヴァーラヴァティ王国が発展し、上座部仏教がさかんにおこなわれた。ベトナム初の長期王朝の李朝(大越国)は、昇竜(城)に都をおき、宋軍の侵攻を撃退した。モンゴル人の侵入を3度撃退した。李朝につぐ陳朝は、ベトナム語を書くためにインド文字を利用した字喃(チュノム)とよばれる文字がつくられた。 Q6東南アジアの諸文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢唐僧義浄はインドからの帰国途上にシュリーヴィジャヤ王国(三仏斉)を訪れ、仏教がさかんな様子を記している。シュリーヴィジャヤ王国は、スマトラ島のパレンバンを中心に建てられた。ジャワ島では、シャイレンドラ朝のもとで壮大な仏教寺院ボロブドゥールが造営された。クディリ朝は、影絵芝居(ワヤン)が行われるなど独自の文化を創造したがシンガサリ朝に滅ぼされた。 Q7中国の古典文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢前6000年までに、黄河の流域では稲を中心として、長江の流域ではアワなどの雑穀を中心として、粗放な農耕がはじまっていた。彩文土器を特色とする中国最古の新石器文化の仰韶文化では、豚・犬・鶏を家畜とした。城子崖で発見された新石器時代後期の竜山文化は、黒陶を特色とし、農具・農耕技術が進歩し、牛・馬・羊などが飼われた。江下流域で発見された河姆渡遺跡は、前5000年頃の新石器文明の遺跡である。 Q8中国の古典文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢中国古代の伝説上の帝王である堯は、暦をつくり、治世に功のあった舜に位を譲った。夏王朝は中国古代の伝説上の帝王であるUが舜から位を譲られてはじめた。舜・兎の治世は、儒家の孟子により理想化された。伝説では夏王朝が中国の最初の王朝とされるが、その王都の所在は確認されていない。 Q9につづいておこったとされる殷について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢商ともよばれる。殷墟(河南省)の発掘により、甲骨文字を刻んだ亀甲・獣骨や人畜が殉葬された王墓及び宮殿跡が発見された。多数の氏族集団が連合し、王都のもとに多くの邑(城郭都市)が従属する形で成り立った国家である。祭器として高度な鉄器が使用された。 Q10中国の古典文明について述べた文章で誤っているものを一つ選べ。 選択肢殷王は占いの結果を絶対的な神意とし、これに基づき農事・軍事・祭祀などを実施する祭政一致の政治(神権政治)を行った。INN王は占いの結果を絶対的な神意とし、これに基づき農事・軍事・祭祀などを実施する祭政一致の政治(神権政治)を行った。謂水流域におこった周は、はじめ殷に服属していたが、のちにこれを滅ぼし、洛邑に都をおいて支配した。王朝交替を中国で易姓革命という。